リゲイン


リゲイン
総合研究所
 1960年代に大阪に生まれる。
 小学6年生の時に「NHK通信高校講座・数学I」のテキストを持って職員室を訪れたことを契機に学級担任に名門私立中学への受験を薦められ、両親がその気になる。今で言う「お受験」のハシリだった訳だが、1年足らずの受験勉強の末、それを無事に合格し勉学に励む。共通1次試験の自己採点は高得点だったが気が変わり2次試験をスルーして某情報処理関連の4年制専門学校へ入学するが、再び気が変わり、これを途中退学。
 その後、多種多彩の職業を経験しているうちに、これからは「消費者金融やで」と地元の小規模サラ金に入社。初任給20万円(手取・但し租税公課等なし)1990年頃に店長に昇格した頃の給料は手取40万に到達する。その後、訴訟実績などから某大手消費者金融業社からのトップハンティングがあった。条件はポストが本店法務部教育部長・年棒1000万保障・但し1年毎に更改する契約社員扱いというものだった。組織を嫌い、その申し入れを断ってから人生が暗転を開始する。バブル崩壊の煽りで会社が人材派遣業(人夫手配)に手を出す。土建屋廻りの営業やトラブル時の現場代替作業及び勤務時間1日16時間(内8時間はサービス残業)等を不満として依願退職。勤続15年にして退職金5万円を堂々と渡す社長に呆れた。退職後、訳あって大阪から地方都市へ転出して職を求め、再び消費者金融会社で採用される。2年目で次長職となるが転勤でやって来た年下の馬鹿店長の策略でリストラされ馬券生活を余儀なくされる。
 その後馬券のみでは収入の安定性に欠けることに加え、体力低下が著しいことに気づき某一部上場運送会社の子会社にて早朝のみパートとして勤務。月収7万円。家賃5万3000円の賃貸1DKマンションにて寂しい独り暮らし。今年、馬券生活3度目の正月を迎えるが、今年こそ「金杯で完敗」のジンクスを破ろうと思っている。

馬券生活への序章はこちら
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